新年会で、同じ教会の教会員といろいろと話をする
機会がありました。
だんだんと、平均年齢が上がってきて、
健康や子供の教育・進学に関する話題
が増えてきました。
最近では、さらに老後を心配する声も出てきました。
確かに、十分な貯えもなく、年金もわずかしかもらえない
という現実だけを見れば、
将来このままで老後の生活はどうなってしまうのか?
と心配するのも普通だとは思います。
あとで家に帰っていろいろと考えてみたのですが、
統一食口が老後の心配をすることは必要なんでしょうか。
普通、老後の心配というのは、
仕事をリタイヤしたあとも、衣食住を満たし、
悠々自適な生活を送れるか否かを心配する
ということなのだと思いますが、それはあくまでも、
目に見える現実世界を中心とした
価値観のように思います。
それよりも、限られた地上生活の期間に、
「真の愛」を実践する生活を出来ているか否か、
真の父母様から頂いた天の伝統を相続することが
できている自分になっているか否かを
心配すべきではないだろうか?
と考えさせられました。
我々は、み言葉を通じ、
霊界へと繋がる「永遠の命」という価値観へと
転換されたはずなのに、
いつしか目に見える現実を中心とした
生活になってしまっています。
かくいう自分自身がそうなってしまっているので
自戒と反省の念を込めて記事を書いた次第です。(^_^A; \
応援して下さりありがとうございます。(^0^)