2010年03月09日

長く信仰したら、心が天国になるわけではない

先日の早稲田教会での礼拝の話の続きです。
説教でこんな事も語られていました。

長く信仰したら、
たくさん献金したら、
清平へたくさん通ったら、
心が天国になるのではない。
神様を迎える四位基台(個人・家庭)となっているのか、
その心の姿勢こそが、
天国になるか否かを決定する。


まさにその通りと、感じました。

礼拝後は、各区域に分かれて食事会が始まりまして、
他教会の私はすごすごと帰ろうと思いきや、
「あなた、食べてゆきなさいよ!」
と温かく声を掛けて頂き、韓国のおばちゃん達に
囲まれながら、美味しいキムチとごはんを
たくさん頂きました。

皆さんかなりお年なのに、顔は艶々、
声はでかいし、
韓国の「おばちゃんパワー」には終始
圧倒されそうでした。

ホント、教会もそれぞれカラーがあるものですね。
いろいろな意味で恩恵の多い礼拝でした。

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2010年03月07日

気付いた時が「一番早い」のである

今日は、仕事で新宿の早稲田教会の礼拝に
参加しました。

ここは、教会員のほとんどが、韓日・日韓家庭。
礼拝も、文亨進世界会長様がされている
「天一国礼拝」の形式にしたがって、霊的に
恵み多く、行われていました。

個人的には、礼拝の内容を通じてとても
悔い改めさせられる内容がありました。

最近、長男の事で頭を痛めることが多く、
どうしてもっと寛容な心で、愛を持って
接することをしなかったのだろうかと…。

でも、教会長がこうも言われていました。

『悪かったと気付いたときは「もう遅い」のではない。
 気付いた時が「一番早い」のである。』

この一言に救われた思いがしました。
悔い改めて一週間を出発できそうです。

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posted by kei at 21:35| 東京 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 礼拝の恩恵 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月26日

礼拝は「参加するもの」ではなく、「捧げるもの」

連休中、来る10/14の特別祝福式に向けての
説明会・学習会に参加しました。

この度の特別祝福式を受けるにあたり、
私達祝福家庭が本来歩むべき道から外れ、
世俗に流されてしまった立場から、
もう一度本来あるべき祝福家庭としての
道を歩むべく再出発をしてゆかなければ
ならないと、戒められました。

学習会では、信仰生活・祈り・礼拝・献金の意義・
敬礼式 といった基本的な内容をもう一度確認
させて頂きました。

信仰が長くなればなるほど、
「もうそんな事、分かってるよ」
と思いがちなのですが、そうであってはいけない
と思います。

改めて基本的な事を確認させていただく場を
提供して下さった教区長に感謝でした。


ところで、礼拝は「参加するもの」ではなく、
「捧げるもの」と言われた事が印象的でした。

ただ単に「話しを聞きに行く」という観点で
礼拝に行けば、説教者の説教を人間的に捉えて、
あれこれ批評しがちです。
そうではなく、礼拝は説教者と教会員で共に
「神様に捧げる」ものであると再確認しました。

私のブログも、「礼拝に参加する」と記していました
ので、「礼拝を捧げる」に改めたいと思います。
posted by kei at 15:13| 東京 ☁| Comment(2) | 礼拝の恩恵 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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