先日、ある講話でこんな話を聞きました。
人間が神様に至るには、決まった道があるというのです。
例えば、子供の場合。
子供が、目に見えない神様を認識することは不可能です。
では誰を通じて神様を感じることができるかといえば、
自分の両親の愛を通じて、感じることができるのです。

子供の時に正常な親の愛を受けてこなかった人は、
教会に来てもなかなか神様の事を実感できません。
私の知り合いの教会員は、真の父母様は敬愛していましたが、
自分の両親の事は大嫌いでした。
自分の親を愛せなかった彼は、残念な事に、それから
ほどなくして信仰の道を離れました。
自分の親を愛せないと、
その背後にある神様を愛せないというのです。
文先生のみ言葉に、
「個人・家庭・氏族・民族・国家・世界」とありますが、
これはまさに神様に至る順番を示していると聞きました。
つまり、自分の氏族・民族・国家を愛せないで、
神様に至ることはできないというのです。
自分の親、親族、地域社会や国家を愛するということが、
統一教会員にとっても、大事であることが理解できます。
キリスト教を迫害してきた日本が、復帰摂理の過程の中で、
「サタン側の国家」として位置づけられることはあったとしても、
統一食口が自国のことを愛さないのは間違っています。
もちろん、民族主義のような低次元なナショナリズムに
走ってはなりませんが。
応援して下さりありがとうございます。(^0^)
