2012年03月03日

全ての痛みを隠し抱いて来られたお父様<自叙伝>



私でもどうして痛みが無いはずがありません。

見た目は強気でいましたが、

喉が詰まり骨身にしみる悲しみが

一、二度ではありませんでした。

心が弱くなる時ほど

「私がこのように牢屋で消えて無くなる男ではない。

私は必ずもう一度立つ。確実にもう一度立つ。」と、

歯を食いしばりました。

「この全ての痛みを私の中に隠し抱いて行くのだ。

教会の全ての重荷を背負って行くのだ。」

と考え心をせき立てました。 <自叙伝より>




ともすれば、メシアであるからお父様は我々とは違う

特別な人間なのだと考えがちなのですが、

実は大変な痛みや苦しみを通過して来られた方であることが

この一節から分かります。

何度も何度も御自身を励まし、

せき立てて歩んで来られたお父様です。

私達の現実的な困難は、実に小さな次元の物であると

気が付かされます。


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2012年02月29日

父の背中に負われて学んだ平和<自叙伝より>



「寝ているふりをして父の背負われていった気分、

何の心配もなく心がすっと安心できる気分、

これこそがまさしく平和でした。

そのように父の背中に負われて

平和を学びました。<自叙伝より>



子供というのは、親と一緒にいるだけで安心します。

我が家の長女は、小学校一年生ですが、

甘えんぼで 寝るときにいつもお父さん・お母さんに

くっついて離れません。

その幸せそうな寝顔を見ていると、こちらも

幸福な気持ちになります。


人間は、親なる神様と共に暮らすことで心が平安で

幸福であるのだと思います。

親から離れて暮らすから、心配や不安が生じます。


いつでも、どこでも共にいて下さる

神様と真の御父母様がおられることを

生活の中で実感できれば、

心から平安な毎日を過ごせるのかもしれません。


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2012年02月27日

受けた恩を忘れないお父様 <自叙伝より>



私はどんな小さい事でも

一度お世話になれば生涯

忘れることができません。


〜恩恵を尽くしてくれた人に直接会えなくても

重要なことは、その人を考える心です。

その人に会えなくても、そのありがたさを

他の人に返したいという切実な思いで

暮らさなければなりません。<自叙伝より>



自分自身もそうですが、ともすれば他人から

何か傷つくような事を言われたり

不利益を被ったことはいつまでたっても覚えておきながら

恩を受けたことは、いつの間にか忘れてしまっているものです。

お父様は一度受けた恩を絶対に忘れないし、

またその人に会えなくてもその恩を他の人に返したいという

切実な思いを持っておられる、そういうお方です。

ここに我々堕落人間とは全く違う

「真の愛」の実体としてのお姿を見ることができるように思います。

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